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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)1880号 判決 1971年12月22日

控訴人 加瀬八重子

右訴訟代理人弁護士 赤坂軍治

被控訴人 菱南電気株式会社

右訴訟代理人弁護士 渡辺武彦

同 渡辺邦守

同 山本達也

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の控訴人八重子に対する請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、左に付加訂正するほかは原判決事実摘示と同一であるのでここにこれを引用する。

一、控訴人の主張

(一)興菱電気商会なる商号で、家庭用電気器具の小売業を営んだ営業の主体は、訴外加瀬博であって控訴人ではない。控訴人は昭和六年三月頃からは家事育児に専念し、博の経営する店舗の手伝をしたことがない。

(二)加瀬博が被控訴人との間で本件継続的取引契約をするについて控訴人が自己の氏名を使用することを博に許諾し、被控訴人が控訴人を営業の主体と誤認して被控訴人主張の商品を博に売り渡したとの主張事実はこれを争う。

(三)仮りに被控訴人主張の継続的販売契約に基づく売掛代金につき、控訴人がその支払をなすべき債務を負担したとしても、右債務はその最終弁済期日の翌日である昭和三八年一二月一六日から満二年後である昭和四〇年一二月一五日までには時効期間が経過し翌一六日までに全部消滅している。よってこれを援用する。

(四)被控訴人主張の後記時効中断の事実を否認する。控訴人は昭和三六年三月頃から興菱電気商会の仕事には全然関与していなかったから、本件債務の一部弁済も承認もするはずがない。また被控訴人は控訴人が右弁済ないし債務承認の事実を自白した旨主張するが、控訴人はこれを否認する。控訴人提出の昭和四二年五月一〇日付答弁書記載の答弁第二項に訴状請求原因第二項の事実(原判決事実摘示請求原因(二)、(三)の事実)に対する答弁として被控訴会社と本件取引のあったのが控訴人であるという点を否認し、その余は認める旨の記載があり、右書面は原審第二回口頭弁論期日(昭和四二年五月一〇日)において陳述されている。しかしながら、これは控訴人が自己の債務として被控訴人主張の金額を支払ったという趣旨ではない。仮りに右答弁書に基づく陳述が自由と解されるならば、それは真実に反しかつ錯誤に基づくものであるから、昭和四六年四月一二日の口頭弁論期日においてこれを取り消す。

二、被控訴人の主張

(一)控訴人が前段(一)において主張する事実は否認する。控訴人は終始「興菱電気商会」なる商号をもってする前記営業に関与し主宰していたものである。

(二)仮りに右「興菱電気商会」の営業主が加瀬博であったとしても、控訴人は加瀬博に対し、昭和三七年九月一六日頃、自己の氏名を使用して(自分が「興菱電気商会」の代表者であることを表示して)被控訴人と電気製品の継続的売買契約を結ぶことを許諾しており、被控訴人は真実控訴人が前記営業の主体であると信じて「興菱電気商会」に右物品を売り渡していたのである。したがって、控訴人は、商法第二三条の規定により被控訴人に対し加瀬博と連帯して本件債務を負担するものというべきである。

(三)控訴人の時効の援用に対してはつぎのとおり主張する。

(1)控訴人は右時効の援用の抗弁を第一審において提出しえたにかかわらずこれをせず、当審に至ってはじめてこれを主張するのはいわゆる時機に遅れた攻撃防禦方法に該当し、これがため訴訟の完結を遅延せしめるものと認められるから却下せらるべきである。

(2)仮りに右主張が認められないとしても、左のとおり控訴人は被控訴人に対し本件債務の一部弁済として金二万三、五五〇円の支払をした。すなわち、興菱電気商会は、三菱電機株式会社の配給系列に加盟していたところ、三菱電機株式会社はダイヤモンドクーポンなる制度を設けて、同社の電気製品を販売した小売店等に対しその売上額に応じた報奨金を支払うこととしていた。被控訴人も同一の配給系列に加盟していたので、昭和三九年頃控訴人に対し控訴人がダイヤモンド・クーポンによって支払される報奨金によって本件債務の一部を支払うよう申し入れたところ、控訴人はその頃これを承認し被控訴人に対し報奨金受領事務を委任し、控訴人のためにこれを処理すべき代理権を授与した。そこで被控訴人はこれに基づいて昭和四〇年四月二七日三菱電機株式会社より報奨金として金二万三、五五〇円の支払を受け、同日控訴人のため本件債務の一部弁済に充当し、その頃右経過を控訴人に通知したところ、控訴人はなんら異議をとどめることなく諒承した。

(3)控訴人は右一部弁済を原審第二回口頭弁論期日において自白した。控訴人提出昭和四二年五月一〇日付答弁書中請求原因に対する答弁第二項には右債務一部弁済の事実を認める旨の記載がなされており、右書面は原審第二回の口頭弁論期日に陳述されている(原判決事実摘示中、第二原告の請求原因の(三)および同第三被告らの答弁の(三)参照)。よって被控訴人は右自白を控訴人の時効の抗弁に対する時効中断の再抗弁事由として援用する。

三、証拠関係<省略>。

理由

一、松南電気株式会社(以下松南電気という。)が興菱電気商会(この商号を用いていた営業主が加瀬博であるか控訴人であるかは後に述べる)に対し、昭和三七年一二月中旬から同三八年一一月九日までの間に、代金合計金四七六万五、六七六円相当の電気器具等を売り渡したこと、および被控訴会社(旧商号菱和電機販売株式会社)が、昭和三九年六月一日松南電気を合併し、かつ商号を現商号に変更したことにつき当事者間に争いがない。

二、<証拠>を総合すると、左記事実を認定することができる。原審および当審証人堀精三、ならびに当審証人北村宗治の各証言中、右認定にそわない部分は前顕各証拠に照らし措信せず、他に右認定を左右する証拠はない。(甲第一号証に関しては後段に説示する。)

(一)控訴人は青果物の販売を業とする父親の店の手伝をしていた昭和二七年頃加瀬博と婚約をし、同二九年年頭に二人は結婚した。

(二)加瀬博は電気工事人で電気工事の請負を業としたが、かたわら家庭用電気器具の販売も手掛けていた。両名は結婚すると、控訴人の父が控訴人の名義で買ってやった江東区深川洲崎弁天町一丁目五番地にある小住宅に移り住み、ここで加瀬博の母親を加えて共同生活を始めるとともに、博は自己の負担でこれを改造し、ここに店舗を構えて同人の従来からの営業を継続した。規模の小さい個人企業であったから控訴人も家事の合間にこれを手伝った。しかし、(元来が八百屋の娘で電気に関する素養もないところから)、それは家族の一員として手のあいている時に電気器具の店売り、記帳、金銭の出納を手伝う程度で、営業は一貫して博が主宰していた。

(三)博は自分の店に初め興電社という商号を使用していた。松南電気との取引はこの頃から漸次密接となった。当時は急速に家庭用電気器具の需要が伸張した頃で、興電社は主として松南電気からこれを仕入れ販売して利益をあけ、昭和三五、六年頃には控訴人の妹も含めて五、六人の従業員を使用する位の規模にまで成長した。

(四)一方控訴人もこの間に二児をもうけ、昭和三五年暮頃には第三番目の出産を、翌年の夏に控えて亜阻等のためによる身体の故障がひどくて、店の仕事は余り手伝えない時期が暫く続いた。博および控訴人の一家は昭和三六年三月頃、弁天町の住居が手狭なので、江東区深川平久町一丁目(旧町名)一五番地の家(控訴人の父が控訴人の妹名義で買ったもの)に移転し、前記弁天町の家には控訴人の妹夫婦と数名の従業員が起居するほか店舗は従来どおり同所を使用した。したがって控訴人はその頃からますます博の店舗に姿を見せることは少なくなった。同年八月には第三児を出産し育児に追われるようになったので、家事育児に専念し、店の手伝はあまりしないこととなった。

(五)その頃博は税金対策等から、電気工事請負業の方についてはこれを主たる目的とする興栄電設株式会社(以下興栄電設という)という会社を設立し、家庭用電気器具の販売の方は興菱電気商会という名称を用いて営業することにした。両者ともに営業の主体は博であること従来どおり変更はないが、博は主として興栄電設の仕事に当り、興菱電気商会はその営業名義人を形式上控訴人ということにして(このことは妻である控訴人にも話し、控訴人も了承していた)、実際の仕事は主として博の友人で興電社当時から家庭用電気器具販売の方を担当していた伊藤新次郎に当らせ支払関係は同人名義の銀行口座を利用するという計画を立て、主要な取引先である松南電気に対し、昭和三六年三月頃税金対策のため今後営業を右のような形式のもとに行なうことを告げその了解のもとに、その後は興菱電気商会という名称で同会社との取引を継続した。そして、その取引の態様は、興菱電気商会という名称のもとに行なわれたことと代金支払のための小切手などが伊藤新次郎名義で振り出されることになったほかは、実質上従前と異なるところはなかった。

(六)松南電気としては博とは従来の取引の実績があったので、興菱電気商会という名称を用いても、博があくまでも取引の実質上の相手方であり責任者であるとして取引を継続していたものであって、同商会との取引開始にあたっても、控訴人個人の資産、信用、支払能力、経営の才等については全く無関心であり、(このようなことを問題にした形跡は全然ない)、売掛代金の未払が増加したため支払の催促をするようになってからも、その交渉はもっぱら博との間で行なったし、昭和三九年一一月にその当時の未払金一四九万六四三六円について誠意をもって決済するよう努力する旨の念書を徴するにあたっても、加瀬博と伊藤新次郎の名義でこれを差し入れさせた。

三、右認定の事実関係から考察すると、昭和三六年三月博が興電社なる商号を用いて行なってきた営業のうち電気器具販売部門を独立させるに当って、博と控訴人の意思としては右企業を控訴人に譲渡するとか、博は一応右営業を廃止し、控訴人において新に興菱電気商会という別企業を新設するとかいう気持は毛頭なく、右はただ税金対策上別個の営業のような形式をとることにしただけのことで興菱電気商会の主宰者は依然として博であって、控訴人はただ形式上の営業名義人となるという含みであり、その頃松南電気(被控訴会社)も右事情を諒解した上で、興菱電気商会の実質上の営業主は加瀬博であるとして、同人(同商会)との間に取引を開始・継続したものと解するのが相当である。

この点につき、被控訴人提出の甲第一号証には、登録販売店の商号欄および代表者欄にそれぞれ興菱電気商会、加瀬八重子という記載がある。そして、同号証は原審において控訴人がその成立を認めていたものであり、控訴人は当審において右自白は錯誤に基づいてしたもので真実に反する旨主張するけれども、この点に関する原審および当審における控訴人の本人尋問の結果はそのまま信用しうるや否やかなり疑問があり、結局真正に成立したものと認めるほかない。しかしながら、原審証人加瀬博、同堀精三(一部)の各証言を合わせ考えると、右は、興菱電気商会が三菱電機株式会社製品の販売系列に属するいわゆる登録販売店となるにつき、前記のように控訴人を同商会の形式上の営業名義人にした関係上控訴人の名義を表示したにすぎないものと認められるのであって、前記認定を左右するものではない。また、前記甲第四号証の二に興菱電気商会加瀬八重子との記載が存するが、これまた同様の関係にあるものということができる。結局、被控訴人において控訴人を興菱電気商会なる名称を用いて行なわれた前記営業の営業主であると誤認して本件商品の継続販売をしたものとみることは困難であるというほかはない。

以上の次第で被控訴人の控訴人に対する興菱電気の営業の主体は加瀬博であって控訴人ではなく、本件継続的売買が松南電気(被控訴会社)と控訴人との間になされたものとは認められず、また商法第二三条により控訴人が加瀬博と連帯して右売買の代金を支払うべき義務あるものとすることもできないから本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、失当として棄却すべきである。したがってこれを認容した原判決は取消を免れない。よって訴訟費用の負担につき民訴法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 多田貞治 裁判官 谷口正孝 兼子徹夫)

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